三柱の祭神
天太玉命〈白菊大明神〉
(あめのふとだまのみこと)
天照大御神が天の岩戸に幽居された時、天太玉命は、天児屋根命、手置帆負命の諸神等を卒い、大幣を捧持して祈祷し、大神を和し奉る功績がある。
御名を太玉と言うのは、太玉串(大幣)の省かれたるによる。
天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に禊祓し給いて左の御目を洗い給ひし時になりませり、と古事記にあり。日本書紀には、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、二神が力を合わせ大八州國を経営し給いて、山川草木の霊を生み給うや、相謀りて如何にぞ天下の主を生まざらめやとして大御神を生み給うとある。大御神は我が国家皇室の御祖神で永く伊勢に斎き祀られ給ふ。
倉稲魂命
(うがのみたまのみこと)
食物を主宰する神である。日本書紀には伊邪那岐神、伊邪那美神、二神の御子とあり、古事記には、須佐之男命の御子と伝えられている。天太玉命の命により五穀の種を、伏見の里に蒔き、耕業を盛んにならしめた神徳から金札宮の本殿に祀られる。
ご利益
当社金札宮の祭神は、五穀豊育・火難除去・家運隆昌の祖神であり、斎元の主なる故、総じて人倫之心地に宿って邪悪の情を祓い、正直の道に帰らせしめ、諸事道理に順って縁熟を持たしむ。
すなわちこの三神は、人の心に宿る邪悪な情を除いて正直な道に帰らせ、なにごとも道理に基づいた考えや行動を得ることによって運を開かせてくれます。
また、末社にお祀りしてある恵比須神とともに、開運の宮・幸運を呼ぶ宮として地域の人々の崇敬を集めています。
末社
金刀比羅社:明治二年遷座。
恵比須社:明治二年遷座。
公岡稲荷大明神:明治24年ごろ勧請。
大國主命・事代主命:明治24年頃造営。
橋吉稲荷社:平成14年7月鎮座。
常磐稲荷社:平成19年4月鎮座。
ご祈祷のご案内
宵戎寶惠駕籠巡行
平成22年1月9日、55年ぶりに寶惠駕籠の巡行を復活することができました。元は中書島の花街の芸妓さんを寶惠駕籠に乗せて界隈を巡行していたもので、伏見の賑わいを現したものでした。伏見の町を活気づけんと当時の再現を試みたもので、その主旨にご賛同いただいた多くの方々の応援もいただき、盛大に催すこととなりました。
» 詳しくは祭事・行事へ
天太玉命とは
祭祀を司る神で、記紀によると天孫降臨の際に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に陪従して降りてこられたとのことです。一般的に占いの神・神事の神として信仰されていますように、神事・祭祀によく通じ、祓い清める力絶大にして、福を呼ぶための基本となる環境、精神を整えることのできる神なのです。
当社縁起の白菊の翁とはこの天太玉命が現世に現れた姿で、平安遷都により都となった京の町を祓い清める大切な役目を持った祭神でありました。
金札宮の金燈籠
昭和六年発行の『金札宮沿革誌』には「明治元年薩藩の士大山彦八氏より金燈籠を寄進」とあります。薩藩とは言うまでもなく薩摩藩のことで、薩摩藩士の大山彦八といえば、一般的には明治の元帥陸軍大将・大山巌公爵の父上の御名になりますが、この方は明治元年にはすでに故人となっていますので時代が合いません。ここで言う大山彦八氏とは、大山巌元帥の兄にあたる大山成美氏(本家の通称名「彦八」を引き継いでいる)のことだろうと考えられます。
明治元年といえばまさに維新の時。勤王の志士たちが新しい時代を切り開いていったその息吹を感じていただけます。
(現在、この金燈籠は残念ながら当社内にありません。戦前後の混乱の中で記録も逸しており、ただいま調査中です)
- 金札宮ホーム
- 祭神・利益